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- 横浜! 一応・学会・・・
- 2022/06/15
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プライマリーケア学会へ 夕方 名古屋駅から乗車
新幹線で新横浜まで約1時間半の晩御飯タイム!
名古屋駅で、矢場とんのお弁当発見。
食べ終わり、明日の学会資料を確認する間も無く 新横浜到着! はや!
横浜線に乗り継ぎ、みなとみらいまで15分程度
夜の横浜・みなとみらい メチャクチャ綺麗
宿泊先まで徒歩
発見!
ウルトラマン!
シン・ウルトラマン とのコラボ企画!
明日からの学会へ向けて? 散策へ。
学会前夜は更けて行きけり ^ ^
- いざ!学会!
- 2022/06/10
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毎年、この時期には医師会の先生方と「プライマリーケア学会へ」
そんな日常も、コロナ禍で一変してしまい早3年でしょうか?
でも、今年は違います!
リモートと、現地開催です!!
残念ながら、多人数での移動・懇親会(会食)はありませんが・・・
何より、現地で、人と直接お会い出来る!
それだけで、それだけで・・・ 感無量 (T . T)
開催地は、横浜です。
学会で無くても気分は高揚します。
では行ってきます ٩( ᐛ )و
- TOP GUN
- 2022/06/02
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又々、映画鑑賞へ
行ってきました!! TOP GUN
当初の公開予定がコロナ禍により
伸びに伸びての 今回
コロナ禍での映画鑑賞にも独自にルールを持って、劇場鑑賞に行っていましたが
今回は、「今でしょ!」で 6回鑑賞での無料鑑賞権使用し、プレミアムシート
なる、プチ贅沢な鑑賞となりました。
ネタバレになりますので触れませんが。
前作鑑賞していない、若い世代の方々も必ず満足する映画でしょう!
マーベリックの様に周囲を気使い・何時迄も限界に向き合い続けたい
エンドロールも感慨深く、最後まで鑑賞し劇場後にした昨日でした。
※ 自分含め、比較的年配の方々の鑑賞が多かったかなア
- ビリヤード
- 2022/05/20
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先日、ビリヤードキューの保管時使用の物品が破損!
早々、変わりをネットで購入!
一緒に届きました!
久しぶりに拝見。
土方・栗林プロ!
皆さんが良く知るビリヤードは「ポケット」と言われるゲームでしょう。
その他にも「スリークッション(3C)」「4つ玉(でしたっけ?)」
などなど、多彩です。
昔、ビリヤードブームの時に、名古屋ではまだまだビリヤード場が無く、
ゲームしたさに港区まで。ポケット台が中々空かず
店員さんから「4つ玉台は空いてますよ」と
4つ玉???
常連さんのお父さんお二人にルール・ゲーム教えて頂き
ポケット以上に楽しく朝まで撞いていたのが懐かし。
コロナ禍で、遠のいていますが、又、キューのメンテナンスも兼ねて
撞きに行こうかなと 先のお知らせ見ながら思い巡らせていました。
- 沖縄(戦後)
- 2022/05/15
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お笑い芸人・ゴリ「沖縄が僕らを救ってくれた」
沖縄の言葉を話すのが恥ずかしかった過去も
子どもの頃から「復帰っ子」と呼ばれて育ちました。この年齢になると、特別な意味を感じ、少しでも沖縄の役に立てれば、と考えるようになりました。
今でこそ沖縄出身に引け目を感じませんが、僕が大阪の小学校に転校した1979年頃は、沖縄の言葉を話すのも恥ずかしく、教室でじっと座っていた記憶があります。東京や大阪の人に会うのは、芸能人に会うような緊張感がありました。
23歳で芸能界に入り、川田(広樹さん)とコンビを組んで東京で活動するとき、「方言では勝てないから標準語で勝負しよう」と決めました。川田は中学の同級生でずっと沖縄の方言で話してきたのに、プライベートも標準語に切り替えました。なのに、僕らに回ってくる仕事は沖縄ロケが必須。安室奈美恵ちゃんたち沖縄出身アーティストの人気が出て、「沖縄ってかっこいい」というムードに世の中が変わった。隠そうとしていた「沖縄」が、僕らを救ってくれたんです。
両親は沖縄戦体験者です。母親は激戦地の糸満市出身で、6~7歳のとき、祖母に手を引かれ、戦場を逃げ惑ったそうです。食べ物も飲み水もなく、ふらふらの状態で遺体を遺体とも思わなくなった、と言っていました。
父親がポロッと、「いずれ沖縄戦を撮ってもらいたい」と僕に言ったことがあります。もしやるなら、腹を据えていろんな角度からの見方を投影しないといけない。本土の捨て石にされた沖縄の悲しみもあれば、その沖縄に出征しなければならなかった兵士の悲哀もあるはずです。全員が怯(おび)えながら同じ場所で狂ったような殺し合いを始めるわけですから。戦争さえ始めなければ誰も加害者にも被害者にもならなかったのに、と思います。
4月28日に初めての小説『海ヤカラ』(ポプラ社)を出しました。米軍統治下の沖縄で10歳の少年が主人公です。復帰前の沖縄は、米軍関係者の車が沖縄の女性をひき殺しても裁判で無罪になる時代です。理不尽な状況を経て、復帰があったことを伝えたいと思いました。
復帰50年をどう思うか? 沖縄の人たちの中にはお祝い気分にはなれず、「復帰50周年」と言わない方もいます。全国の米軍基地の70パーセントが沖縄に集中し、米軍関係者による事故や事件もいまだに起きています。沖縄県民だけでなく、本土の皆さんも一緒に沖縄の日本復帰とは何だったのか、を考えてもらえるとうれしいです。
(構成 編集部・渡辺豪)
※AERA 2022年5月16日号
私の友人にも沖縄の方々が沢山みえます。
学生時代から、歴史で学んだ事の無い「史実」を聞かされていました。
「学校で習っていない!」と真実かも解らず、確かめようともせず。
「史実」は真実で、きちんと学ばなくては(学ぶ機会と・学ぶ権利)と
友人たちの真剣な眼差し・言動から 決意。
何十年経とうが、今も変わらず歳を重ねています。